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「人生最期に棺桶の中にまで持って行きたいぐい呑みを作れるようになってね」

私が尊敬する陶芸家の一人で瀬戸の陶芸家がおられる青瓷や米色、織部の作品で有名な方である。轆轤の達人であり、切れ味鋭く、潔い仕事が大好きである。それでもって、やきもの好きの心をくすぐるエッセンスがさらっと振りかけてある。私の目指したい仕事の一つのかたちである。

その方の仕事に憧れ東京で個展をした際に、その方のコレクターである方がたまたま見に来てくださった。コレクションを見せていただきたいと厚かましくもお願いをしたが断られた。
その後も改めてお願いしたがまた断られた。三度目にはじめて個展が終わった次の日に来なさいと言っていただいた。なぜお許しいただいたのかわからないが、三度目の個展で憧れていた作家さんの作品で窯変と名の付く乳白色のやきものがある。何故窯変と名付けておられたのかわからなかったのだが、青瓷の窯を焼いているときに寝ぼけて温度を間違い焼いてしまったときに似たようなものができたことがあった。
透明感のある青い釉薬が真っ白の乳白色になり、その茶盌とぐい呑みを出品した。
そのコレクターの方がその作品を指さしグーという合図をされ、よく頑張ったねとも言っていただいた。
それが良かったからなのかわからないが朝9時から伺った。お昼ぐらいには終わるだろうと思って行ったが大間違いだった。立派なお宅にあげていただいたら、床の間には木箱が山積みにしてあった。
一点一点紐をほどき、その作品の思い出も交えながら箱書きの良し悪し、真田紐、作家による梱包の仕方の違いなどを話していただいた。あっという間に昼になり、奥様の手料理を尊敬するその作家の器に盛り付けて出していただいた。これを普段使いにされている生活。手が震えた。
午後からもその作家のやきものだけでなく、日本陶芸界の巨匠のほとんど一品ばかりを拝見させていただいた。夕方5時、まだまだ床の間には箱がある。
夕食も巨匠の器たちのフルコースである。漆もガラスもすごい作品でもてなしていただいた。
そしてその後も美術館所蔵クラスの作品が続き、終電を気にする時間になってきた。西船橋である。到底京都には帰れない。

最後、床の間の隅に置いてあるぐい呑みぐらいの箱を残して、陶芸の世界の移り変わりのお話と、私が今後どうあるべきか、やきものに向う姿勢を教授いただいた。
残る一箱のことを尋ねる雰囲気でもなく忘れておられるならいいかなとも思っていたら、最後に君に見せたいものがあると言って、その箱を開けられた。
土ものに化粧をした赤絵のぐい呑みだった。一目で師のさらに師の石黒宗麿作の赤絵とわかった。
「どう思う」と聞かれた。
百点以上日本の陶芸界の一級品を見た後のそれは、どう評価してよいのやら迷った。
高台の中にはS字の切れがあり、ぐい呑みのサイズで切れるというのはプロとして「えっ」と思った。
口辺もわざとなのか欠けていたり、がたがたである。化粧土もはがれ、赤絵も発掘品のように褪せている。
返答に迷っていると、再度「率直にどう思う」と聞かれ、「申し訳ないですが、言葉は適切ではないかもしれませんが、下手な仕事」と答えてしまった。しかし、「その通り」と。そして、このぐい呑みは、私が死んだら必ず棺桶でのなかで私の右手に持たせて欲しいと嫁と子供たちに伝えてあるんだ、と言われた。

世の中の陶芸家のほとんどは能力の100%、ときには偶然にも120%の仕事ができないかと日々仕事に向かっている。それは当たり前で若い時にはなおさらだと。しかし、歳を重ね老体になっても頑張っておられる元気な姿は構わないが、同じテンションの仕事を見るのは辛いと。私は経営者として若い時は死にもの狂いで働いた。そんなときには勇気付けてくれるやきものを好んだ。しかし今は会社も譲り、激動の人生を振り返り美味しいお酒を飲むときのぐい呑みとして、これに辿り着いたんだと。このぐい呑みには180の仕事がしてあると。100や時には偶然にも120の仕事ができないかと思った仕事ではなく、このぐい呑みは見た目には20の下手くそな仕事である。しかし100行って80降りてきて20の仕事だから180の仕事がしてあると。プロの陶芸家として降りてくる勇気と自信。この歳になると、こういうぐい呑みでないと酒が美味しくない。
君もいつか数十年後に良い歳になったら、こんなぐい呑みがつくれるような作家になってね。
若くして器用な人は多いけど、今作ったらダメだよ。それは本物じゃないから。我々には見透かされるよと。

その後、東京行の終電に乗りボーとしたまま駅に着き、宿もとっていなかったので新橋のサウナに泊まった。
次の日もボーとしたまま京都に帰った。衝撃の一日だった。その後もう一度お伺いしたことがあるが、後にお亡くなりになられたことを知った。きっとあのぐい呑みを持って逝かれたのだろう。私の人生の出会いの中で大きな出来事であった。いつかはご教授いただいたようになりたい。

「人生最期に棺桶の中にまで持って行きたいぐい呑みを作れるようになってね」
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