「師の顔に泥を塗るな!」
大阪の一門展で言われた一言である。独立して数年目、まだ、20代中頃に一門展に出品するよう声を掛けていただいた。一門展は、一月に東京池袋、四月に大阪天満橋の百貨店の美術部で開催されていた。初めて大阪に出品した際にはまだ作品らしいものはでき上がっておらず、今考えるととんでもないやきものを出品していたと思う。自分ではそこそこと思っていたが、初めて百貨店の美術画廊に並べたとき、兄弟子たちの作品と比べると恥ずかしくて、すぐにでも片付けたい気持ちになった。その旨を兄弟子たちに伝えると「ようできてるがな。」と言われ、そのまま一週間並べることになった。
初日には皆が集まり宴会があったのだが、寡黙な兄弟子たちは多くを語らず、緊張したまま煙草をふかし、師が来られるのを待っていた。師の登場でその緊迫度合いはマックスとなり、全員の作品をご覧になると、一言もなく椅子に腰をかけられる。奥様の緊張を和らげるお言葉も会話は続かず、たった一言の返事で終わり。あとは、百貨店の美術部長さんの場を和ませようとするう軽い話題が、滑稽に思えるぐらいの張りつめた状態であった。昼食も黙って食べるだけで、私は一番年下で最後に配膳されるため、高級なうな重を水で冷ました肝吸いで流し込むように飲み込み、席を立ったことを覚えている。その会の当番で一人でいた時に会場に来られた常連のお客様に言われたのがこの一言「師の顔に泥を塗るな!」であり、早く片付けたらとさえ付け加えられた。私の言った通りではないか。
20代のメンタルにはきつかった。悔しいの前に恥ずかしい。やきもの学校を出て数年目となり、少しは自信のあった若造が鼻をへし折られた一回目の出来事であった。その後、同級生たちが自己表現と称して作品づくりをし、自由に発表しているのを横目に、徹底的に技術を磨くことに専念した。兄弟子たちの技術のレベルに早く近づき、兄弟子たちに認めてもらい、そして、あの緊張感を真に味わいたいと思った。
今、この思いを綴っていてふと気が付いた。あの時の兄弟子たちは同じような洗礼を受けるであろうから「ようできてるわ」と言ったのかなと。意地悪に考えてしまったかもしれない。