三つと五つ 人それぞれ こだわりがある
これはやきものを焼く際に板に引っ付かない様に、また薪窯などで高台際に景色を付けるときなどに、耐火度の高い土を高台際にまるめて付けて浮かす技法である。業界では「目を付ける」と言い、その数が三つなのか五つなのかの話である。
20代そこそこの時、登り窯の研修会があり、全国から著名な陶芸家たちが集まって窯を焚く裏場のお手伝いをする機会があった。窯詰め作業での話である。窯の中は狭いため、一点詰めるごとに窯から出入りはせず、作者が窯の中に入り、手伝いが窯の外に並べてある作品を指示通りに運び、目を付けて手渡すのである。
師からは最初三つと言われ付けて手渡したものの、数個目から自分んで付けるからよいと言われ、耐火度の高い粘土を塊で手渡した。次の方は最初三つずつ付けて手渡したところ、私は五つでと言われ変更した。またある方は茶碗のかたちを見せてそれは五つ、そちらは三つと指示があった。別なある方は目の大きさの指定までもされた。他には、一点目を置く場所を決めてそこから均等割りに三つか五つの指定という方。適当でいいという方も。それぞれの違いに合わせて右往左往している私を見かねてか、大中小を三種類に分け箱詰めされたお菓子のように整然と並んだものを作ってくださる方もおられた。二巡目、三巡目となると、作者のイメージ通りに手渡せるようになった。
しかしながら、それぞれの拘りと、作者の見た目の雰囲気や作品の雰囲気に整合性がなく、それぞれ作品に込める思いは違うんだなと学んだ。作品で自己を表現するということを一度も学ばずにこの世界に入ってきて、見た目ではなく内面にある思いを表現してもよいことを知ったり、それぞれでいいんだということも学んだ。師の目は豪快に三つで、丸めたものではなく、引きちぎった土を形を整えずにそのまま押し付けてあり、緋色のバランスが絶妙なアンバランスでそこにも個性を感じた。
お菓子箱を作ってくださった方は、ご本人はおおらかで土台もおおらかな轆轤をされる方だったが、装飾はとても緻密な作業をされる方でした。