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初心忘ルベカラズ

世阿弥が『風姿花伝』で芸能の道を説いた戒めである。様々な解釈があり、一般的な純真な時の思いを忘れるなというのも良いのだが、私は、「若かりし頃の邪心や慢心や芸の未熟さへの戒め」と解釈している。
20代の初めにたまたま読んだ本の中にこのことが書いてあり、世阿弥について少し勉強した。

当時同級生が営む料理屋に様々な人が集まり、よく勉強会をしていた。和食、茶道、華道、能や歌舞伎、ワインや日本酒など。その中で、能楽の方から芸事の厳しさや精神論について教わったことがあった。
そこで「それぞれの初心」ということを知った。人生の節目節目にそれまでの自分自身を思い返して、邪心や野心はなかったか、慢心していなかったか、可能性のあった選択肢を間違っていなかったかを検証し、もしそうだったとしたら、その未熟な己を戒めて次へ進めという話だった。
芸の道は常にその精神でないと、知らず知らずのうちに緊張感がなくなり衰退していくということだった。
「枯れてきた」とは上手い表現だが、その内なるものが枯れてしまったり、若いのに枯れてみせたりするのではなく、常に自分を戒める事が余裕へと繋がるのだろうと思う。

巷の老害と呼ばれる方々はきっと自信をもって生きて来られたのであろう。反省と戒めとはちょと違うが、毎朝反省ばかりである。控えめな年寄りでいたい。

初心忘ルベカラズ
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