怖い顔して轆轤まわすな。そんな気持ちで作ったものに人が感動するか?
30代の頃だったか、衝撃を受けた陶芸家の話で、作陶の幅が増えた出来事である。
当時話題のオブジェ作家で、(オブジェ作家というのも死語かな?)大好きな作家さんだった。なぜ好きになったのかは後にわかるのだが、作品から醸し出される何かがたまらなく好きだった。若かりし頃は製陶所で轆轤師として働き、毎日何百と湯呑を作っていたとも聞いた。そんな方のもとへ連れていってくださったギャラリー主がおられた。感謝している。思った通りの豪快な方だったが、気配りが繊細で、こちらに気を遣わさないように少しおちょけてみたりと、その振る舞いがとてもお洒落で素敵だった。
折角だから何か作って行ったらと土を渡された。私は轆轤をする際、様々な道具などの配置も大体決めており、それが当たり前と思っていたのだが、道具も何もない。適当にその辺の物を使って、と言われたがどうしたらよいのやら。悩んでいると、土のこびりついた定規や石ころ、木の破片、つくだ煮の蓋などを示され、これをお使いと言われた。「京都の人はちゃんとした道具がないと作れんどすか」とからかわれた。「よっしゃ、やったるで」と気合を入れてこびりついた土を落としてセットし、土をもみ始めた。しかしそれは畑の土のように粘りがなく草の根っこも混じっており、菊練りなど到底できない。空気があちこちに入ったままというか、繋がらないというかどうにもならなかった。もまんでもよいよ。パンパンとたたくだけでよいと言われた。轆轤に乗せて水を付け、回しだしても全く土が伸びない。腰がないのでどんどん轆轤板の上に広がっていく。
その時いわれた。「最初に土を触った時に、この土ならどのようにつくれば形になるのか自分の引き出しをたくさん持っとかないとだめだよ。水なんかを使ったら絶対にかたちにならんよ。京都の人は頭が固い。一つの手しか持ってないと。日本中にはいろんな土があり技法がある。一瞬で見分けないと」と言ってかなり粘りの強い泥をわたされた。それをつなぎにして作れと。それから「そんな怖い顔して土をにらんで作っててもろくなもんできないで。誰が感動すると思う。だから京都の作家の作るもんは堅いね。あかんあかん。」といって缶ビールを2本渡された。一気に飲め。そして轆轤の横に大画面のテレビを持ってこられ大音量。ちょうどMTVでマイケルジャクソンが掛かっていた。「どうや、楽しくなってきたやろ」と。
私も意地になった。小皿すら作れないような土と格闘し、湯呑と茶碗をなんとか10個ずつぐらい作った。
「おー、この土で形にできたん君が初めてや。一月前に京都の大家さんが来られたけどあきらめはったわ。」
お互いお酒もかなり入り、今の気持ちを作品に込めろと言われ、助けてと頭に浮かび、HELPと模様をいれた。
そして次の日なんとか高台を削り仕上げた。削るのではなくむしり取る感じである。
数か月後釉薬をかけて焼きあがったものを送っていただいた。
そこには魂の叫びが籠もっているようにみえた。あの時にしかできなかった作品である。
貴重な経験だった。大切なことを伝えていただいた。それ以来、複数の手を持つこと、既成概念に捉われないことはいつも心掛けている。今もHELPばかりである。
※後に聞いた話だが、私にとっても絶対的なお二人である石黒宗麿先生と八木一夫さんを尊敬されていたそうだ。