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紫の派手なトレーナー

中学生の時、とてもきれいと思い買ってきたトレーナーがあった。
5センチ四方の10種類ぐらいの紫色の布と白色の布とがランダムにパッチワークされたトレーナーだった。
規則性はないのだが白色の間合いが素敵で、紫の色合いも青紫のなかでの濃淡で構成されており、他のものよりかなり高価だったが買ってしまった。持ち帰って袖を通し、父と母に自慢げに見せると、期待に反してボロカスに言われた。紫の服は欲求不満の色だとか、品がないとか、そんな服を着て近所を歩くなとさえ言われた。美しいと思った自分の感性をけちょんけちょんに言われ悔しかった。お寺では紫は一番高貴な色だとか言ってたくせに、と思った。確かに派手ではあった。

しかし、そのトレーナーを着て祇園に住む祖母の家に行くと、叔母や芸妓さんたちも居て、会うなり皆から
派手なトレーナーを絶賛された。10種類ほどの青紫の色の一つ一つが「こうとな色(品がある?京ことば?)
やな」と。また白場のバランスが絶妙やなと。これは一点物で作らはった人の色のチョイスが良いが、高かったやろと。
着物を着馴れた人たちの評価に自信をもった。幼少のころから祖母の家に行くと、出入する人たちの着物の色や柄について評価する祖母や叔母の話をよく聞いていた。無意識のうちに学んでいたのかもしれない。
上品な色と下品な色。その境目は人それぞれ。私が一目惚れしたトレーナーの中に一つでも私の基準で下品な色が入っていたら買ってなかったかもしれない。

工業製品ではなく、一点物として作られたであろう誰かの作品を手に入れたことは、今に繋がっているのでは、と思う。それでも父からはそのトレーナーを着るたびに文句を言われ続けた。服に対して、父と私の美に対する境目は大きくずれていたのだろう。

紫の派手なトレーナー
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