近所に住むイヤなオヤジ
幼少の頃、五条坂あたりでよく見かける、子どもながらに嫌な感じのするオヤジが二人いた。私が誰なのか知
ってか知らないか、いつもすれ違いざまにニタニタしながら一言何か言ってくる。それは思春期になっても同じだった。身なりもだらしなく、冬でも素足に草履ばき。どちらもふてぶてしい歩き方で、こんな大人にはなりたくないと思っていた。いつも道の真ん中を歩き、前から人が来ても絶対によけない人たちだった。父から道を歩くときは、端をこそこそ歩くのではなく真ん中を堂々と歩きなさいと言われていたが、この二人をみつけるとかなり前から端をこそこそ歩き、知らないふりをして通り過ぎようとしても、必ず「男は堂々と歩けよ」とか、「急ぎか」とか言ってくる。ほんとに嫌な奴等だった。
しかし、私がやきものの世界に入って、その二人が焼き物関係者であることが判明した。一人は有名な茶道具
屋の作家さんで、もう一人は老舗の陶器屋の番頭さんだった。私を誰の息子と知っての今までの態度だったのかと気づいた。それからは普通に挨拶もするし、話すことも時々あった。しかし口調は相変わらずで、嫌な感じはずっと同じだった。それから10年以上経ち、私もこの世界で評価されだしたころ、道の真ん中を歩いてきた一人に私もまっすぐ真ん中を歩いていくと、向こうが道を譲ってくれた。その際、いつもの嫌な一言が、「よう頑張ってるな。」と変わっていた。一瞬、勝ったと思ったが複雑な気持ちにもなった。
この二人は幼少の頃からずっと私のことを見ていたんだなと。嫌そうにしていたのも、苦笑いしていたのも、
道の端をこそこそと小走りしていたのも。近所の嫌なオヤジも大切な地域のつながりなんだとも思った。
その後、その一人の方から突然電話があり、体調が悪いことを知らされた。持病が悪化して先が厳しいとのこと。同じ持病が私にもあることを告げると、毎日のように電話があった。持病があったのに養生してきなかったことの経験を私がそうならないようにと、思いついたことを知らせていただいた。しばらくして電話も掛かってこなくなった。小さい頃から何十回、もしや百回以上言われ続け耳を背けていた嫌な一言だったが、最後のひと月余りの電話での一言はしっかりと聞かせていただいた。いつまでも感謝します。合掌。